Staff
お肌や体のお悩みに応じて心を込めて施術します
実績を積んだベテランセラピストとしてお客様と向き合います
疲れやすくなったりお肌の悩みが増えたりする大人の女性が、毎日を自分らしく前向きに楽しめるようにお手伝いしたいと考え、徳島にエステサロンを構えました。一度に一人のお客様のみお迎えできるプライベートサロンのため、他のお客様と顔を合わせる心配がなくゆったりと贅沢な時間をお過ごしいただけます。
お客様の抱えるお悩みに寄り添いながら最適なトリートメントをご提案いたしますので、何でもご相談ください。10年以上のキャリアを持つベテランセラピストとして丁寧に施術いたします。
お客様の抱えるお悩みに寄り添いながら最適なトリートメントをご提案いたしますので、何でもご相談ください。10年以上のキャリアを持つベテランセラピストとして丁寧に施術いたします。
オーナーセラピスト 向井理恵
生年月日 | 1984年(昭和59年)2月29日生まれ |
出身 | 徳島県那賀郡 |
私の癒し | 愛猫 |
セラピスト歴 | 11年 |
「私にはどうせ無理だろう」から始まった夢
子供の頃の夢は、宇宙飛行士です。
天文学に興味があり、宇宙への憧れが強かったのです。
トトロが出そうな山奥で育ち、星を見上げ宇宙に想いを馳せました。
学校の先生に「こんなところに居ても宇宙飛行士にはなれないよ」と言われました。
「私にはどうせ無理なんだろうな」と諦めていました。
未知なるものへの憧れがあるのですが、「私は頭良くないし」と考えてしまうことが多かったです。
無難な方へ行くことに安心を感じていました。
夢も分からず、先生の言う通りの大学へ行くことにしました。
大学へ進学することに安心しながらも、「いつか必ず自分で事業を始めたい」と考えていました。
「どうせ私には無理だろうけど。」 そんな私がこうしてエステサロンを開業しております。 人生わからないものだなと感じます。
天文学に興味があり、宇宙への憧れが強かったのです。
トトロが出そうな山奥で育ち、星を見上げ宇宙に想いを馳せました。
学校の先生に「こんなところに居ても宇宙飛行士にはなれないよ」と言われました。
「私にはどうせ無理なんだろうな」と諦めていました。
未知なるものへの憧れがあるのですが、「私は頭良くないし」と考えてしまうことが多かったです。
無難な方へ行くことに安心を感じていました。
夢も分からず、先生の言う通りの大学へ行くことにしました。
大学へ進学することに安心しながらも、「いつか必ず自分で事業を始めたい」と考えていました。
「どうせ私には無理だろうけど。」 そんな私がこうしてエステサロンを開業しております。 人生わからないものだなと感じます。
目先のお金欲しさに、友達を失った過去
特徴3見出し
大学は、兵庫県の服飾学科へ進みました。
なんとなく進学し、服飾の勉強をすることになったので、正直情熱はありませんでした。
「この先の人生、どうしたいのだろう。」 卒業間近になり、初めて考えるようになりました。
服飾関係の就職も考えましたが、やる気が起きず就職活動は一切しませんでした。
(右下が私です。みんな就職先が決まっている中、私は決断できずにいました。)
卒業後、フリーター生活が始まりました。
人見知りで自己肯定感も低く、暗い印象のためか、面接は何件も落ちました。
自分の顔が嫌いで、人と対面することに抵抗がありました。
コンプレックスの固まりで、コミュニケーションがうまく取れずにいたのです。
自分が大嫌いでした。 当時は、他人からどう思われているかばかりを気にして過ごしていました。 息苦しかったです。
昔からアメリカへ語学留学をしたい気持ちがありました。
留学を目標にアルバイトの掛け持ちをしていましたが、ひとり暮らしの生活費に大半が消えていきました。
そんな時、アルバイト先の友人から「儲かるビジネスの話」をもらいました。 30万のダイヤを買う、ネットワークビジネスでした。
恥ずかしながら世間知らずだった私は、「そんな簡単に稼げるの?」とおいしい話に周囲が見えなくなり飛びつきました。
30万円もなかった私は、友人に言われるがまま消費者金融へ連れて行かれました。
「みんなここで借りているから大丈夫だよ。」 そう言われた時、怖くなりました。
怖かったのですが、「やっぱり止める」の一言も、怖くて言えなかったのです。
結局気づけば、私の借金は、100万円になっていました。 怪しい投資話ですから自業自得です。
目先のお金欲しさに目がくらみ、友達まで失いました。 今だから言える、本当に情けない話です。
「アメリカに行きたい」というのも、結局は友達にイイ顔がしたいがための建前でした。
就職もせず、フラフラしている自分を慰める言い訳に、語学留学を使っていたのです。
親に借金の話をできるはずもなく、自分の不甲斐なさに涙が止まりませんでした。
こんなどうしようもない私にも、ずっと離れず優しく支えてくれた友達がいました。
本気で叱ってくれたのです。 夢に向かって一生懸命頑張っている友達でした。 本当に恥ずかしく、情けなくなりました。
私も、やりたいことを見つけ自分の人生を生きようと誓いました。
なんとなく進学し、服飾の勉強をすることになったので、正直情熱はありませんでした。
「この先の人生、どうしたいのだろう。」 卒業間近になり、初めて考えるようになりました。
服飾関係の就職も考えましたが、やる気が起きず就職活動は一切しませんでした。
(右下が私です。みんな就職先が決まっている中、私は決断できずにいました。)
卒業後、フリーター生活が始まりました。
人見知りで自己肯定感も低く、暗い印象のためか、面接は何件も落ちました。
自分の顔が嫌いで、人と対面することに抵抗がありました。
コンプレックスの固まりで、コミュニケーションがうまく取れずにいたのです。
自分が大嫌いでした。 当時は、他人からどう思われているかばかりを気にして過ごしていました。 息苦しかったです。
昔からアメリカへ語学留学をしたい気持ちがありました。
留学を目標にアルバイトの掛け持ちをしていましたが、ひとり暮らしの生活費に大半が消えていきました。
そんな時、アルバイト先の友人から「儲かるビジネスの話」をもらいました。 30万のダイヤを買う、ネットワークビジネスでした。
恥ずかしながら世間知らずだった私は、「そんな簡単に稼げるの?」とおいしい話に周囲が見えなくなり飛びつきました。
30万円もなかった私は、友人に言われるがまま消費者金融へ連れて行かれました。
「みんなここで借りているから大丈夫だよ。」 そう言われた時、怖くなりました。
怖かったのですが、「やっぱり止める」の一言も、怖くて言えなかったのです。
結局気づけば、私の借金は、100万円になっていました。 怪しい投資話ですから自業自得です。
目先のお金欲しさに目がくらみ、友達まで失いました。 今だから言える、本当に情けない話です。
「アメリカに行きたい」というのも、結局は友達にイイ顔がしたいがための建前でした。
就職もせず、フラフラしている自分を慰める言い訳に、語学留学を使っていたのです。
親に借金の話をできるはずもなく、自分の不甲斐なさに涙が止まりませんでした。
こんなどうしようもない私にも、ずっと離れず優しく支えてくれた友達がいました。
本気で叱ってくれたのです。 夢に向かって一生懸命頑張っている友達でした。 本当に恥ずかしく、情けなくなりました。
私も、やりたいことを見つけ自分の人生を生きようと誓いました。
借金返済後は、コンプレックスに100万円
特徴4見出し
私には、顔のコンプレックスが強くありました。
19歳ごろから約5年間、顔中のニキビに悩みました。
人と対面するのが怖くなるほどのコンプレックスでした。
24歳の時に美容の仕事をしていた友人から美顔器を紹介され、毎日お手入れをしました。
嘘のように奇麗になったので、すごく嬉しかったことを覚えています。
「こんなに気分が違うのか。美容の仕事ってすごいな」と実感したのです。
肌が改善されただけで、前向きになれる自分に気づきました。
一番のコンプレックスは歯並びでした。アルバイト先で歯のことをネタにされ、人前で笑えなくなったのです。
歯の矯正に100万円かけることになります。顔中のニキビも、歯並びのことも、今思えば、「どうしてあんなに悩んでいたのだろう」と感じます。
コンプレックスのせいにして、本当に目を向けるべきことから逃げていたのだと思います。
前を見るのが怖かったのです。あの頃の私にとっては、コンプレックスを克服しないことには前に進めない気がしていたのも事実です。
友人と歯科矯正のお蔭で外見のコンプレックスが気にならなくなり、「美容の仕事は良いな」と、漠然と感じ始めていました。
人と対面するのが怖くなるほどのコンプレックスでした。
24歳の時に美容の仕事をしていた友人から美顔器を紹介され、毎日お手入れをしました。
嘘のように奇麗になったので、すごく嬉しかったことを覚えています。
「こんなに気分が違うのか。美容の仕事ってすごいな」と実感したのです。
肌が改善されただけで、前向きになれる自分に気づきました。
一番のコンプレックスは歯並びでした。アルバイト先で歯のことをネタにされ、人前で笑えなくなったのです。
歯の矯正に100万円かけることになります。顔中のニキビも、歯並びのことも、今思えば、「どうしてあんなに悩んでいたのだろう」と感じます。
コンプレックスのせいにして、本当に目を向けるべきことから逃げていたのだと思います。
前を見るのが怖かったのです。あの頃の私にとっては、コンプレックスを克服しないことには前に進めない気がしていたのも事実です。
友人と歯科矯正のお蔭で外見のコンプレックスが気にならなくなり、「美容の仕事は良いな」と、漠然と感じ始めていました。
目標ができた、エステとの出会い
一番右が私です。友達と遊ぶことばかりに夢中になっていました。あらゆる仕事が続きませんでした。
飲食店、カラオケ、工場、営業、と職種を変えていました。 やりたいことが何ひとつありませんでした。
責任を負いたくないし、就職してずっと身を固めるのも嫌でした。
「やりたいことが見つからない」と言い訳をして、ずっと逃げていたのです。
(一番右が私です。友達と遊ぶことばかりに夢中になっていました。)
転機は25歳の春でした
友人が「バリに遊びにおいでよ。バリのSPAに行こうよ」と誘ってくれました。
友人は日本でエステティシャンとして働き、お店を開業するためにバリのスクールに泊り込みで技術を習得していました。
初めてのエステは海外のスパエステでした。私が感じている日本でのエステのイメージとは全然違いました。
宿泊したホテルのスパは、音楽や、雰囲気も良く、別世界のように感じました。
「こんなに心と体が解放されるなんてすごい」と感動しました。
施術後、気分がとても良く、心が落ち着きました。
「直接人の役に立てる仕事がしたい。」
コンプレックスに悩まされていた過去のお蔭で、より一層この仕事に惹かれました。
「次は私が誰かの悩みに寄り添えるようになろう。」
身体の深部から決意が生まれるのを感じたのは、この時がはじめてでした。
飲食店、カラオケ、工場、営業、と職種を変えていました。 やりたいことが何ひとつありませんでした。
責任を負いたくないし、就職してずっと身を固めるのも嫌でした。
「やりたいことが見つからない」と言い訳をして、ずっと逃げていたのです。
(一番右が私です。友達と遊ぶことばかりに夢中になっていました。)
転機は25歳の春でした
友人が「バリに遊びにおいでよ。バリのSPAに行こうよ」と誘ってくれました。
友人は日本でエステティシャンとして働き、お店を開業するためにバリのスクールに泊り込みで技術を習得していました。
初めてのエステは海外のスパエステでした。私が感じている日本でのエステのイメージとは全然違いました。
宿泊したホテルのスパは、音楽や、雰囲気も良く、別世界のように感じました。
「こんなに心と体が解放されるなんてすごい」と感動しました。
施術後、気分がとても良く、心が落ち着きました。
「直接人の役に立てる仕事がしたい。」
コンプレックスに悩まされていた過去のお蔭で、より一層この仕事に惹かれました。
「次は私が誰かの悩みに寄り添えるようになろう。」
身体の深部から決意が生まれるのを感じたのは、この時がはじめてでした。
リーダーシップを学んだサロン勤務時代
バリから帰国後、すぐに美容の仕事に就きました。
技術を学ぶのは大変でしたが、懸命に打ち込めることにやりがいを感じる毎日でした。
地元徳島で、ホテルのスパエステに就職をし、店長という役職を頂きました。
店長としてみんなを引っ張っていくのは大変でした。
新しいスタッフが入社し、技術指導をしてもすぐに辞めてしまうのです。以前の私を見ているようでした。
辞めてしまうのは決して悪気があるのではなく、昔の私のようにどこに情熱を注げばよいのかわからなかったのです。
「エステがしたい」と入社をしたのに、仕事のやりがいを感じられるよう導いてあげられなかったことが、当時本当に悔しかった。
以前、友達が駄目な私を叱ってくれたように、私がリーダーとしてもっと真剣に彼女たちの人生を考え、叱ってあげれば良かったと後悔しております。
スタッフに嫌われないように振る舞っていたのです。本来なら、「こっちへ行こう」とスタッフを導くのがリーダーの仕事です。
私は、「どう思う?」と皆の意見を聞いていたのです。誰にも嫌われないように、真ん中を取ろうとしていました。
リーダーはスタッフに嫌われようが、組織が生きるよう導かなければなりません。
気弱なリーダーでは、下も安心してついて来られなかったのでしょう。
店長としてスタッフをまとめ、サロンを盛り上げていくプロセスを、身をもって学ばせて頂きました。
勤務時代の経験は今も教訓として強く残っております。エステを学ぼうと必死だった勤務時代。
チームを引っ張っていくことに必死だった店長としての経験。
今の私があるのは、みんなと過ごした勤務サロン時代があるからです。
今も当時の仲間とは食事に出かけます。頑張っている仲間との時間が、良い刺激になっております。
(右が私です。彼女もとは今も食事に行く大切な仲間です)
技術を学ぶのは大変でしたが、懸命に打ち込めることにやりがいを感じる毎日でした。
地元徳島で、ホテルのスパエステに就職をし、店長という役職を頂きました。
店長としてみんなを引っ張っていくのは大変でした。
新しいスタッフが入社し、技術指導をしてもすぐに辞めてしまうのです。以前の私を見ているようでした。
辞めてしまうのは決して悪気があるのではなく、昔の私のようにどこに情熱を注げばよいのかわからなかったのです。
「エステがしたい」と入社をしたのに、仕事のやりがいを感じられるよう導いてあげられなかったことが、当時本当に悔しかった。
以前、友達が駄目な私を叱ってくれたように、私がリーダーとしてもっと真剣に彼女たちの人生を考え、叱ってあげれば良かったと後悔しております。
スタッフに嫌われないように振る舞っていたのです。本来なら、「こっちへ行こう」とスタッフを導くのがリーダーの仕事です。
私は、「どう思う?」と皆の意見を聞いていたのです。誰にも嫌われないように、真ん中を取ろうとしていました。
リーダーはスタッフに嫌われようが、組織が生きるよう導かなければなりません。
気弱なリーダーでは、下も安心してついて来られなかったのでしょう。
店長としてスタッフをまとめ、サロンを盛り上げていくプロセスを、身をもって学ばせて頂きました。
勤務時代の経験は今も教訓として強く残っております。エステを学ぼうと必死だった勤務時代。
チームを引っ張っていくことに必死だった店長としての経験。
今の私があるのは、みんなと過ごした勤務サロン時代があるからです。
今も当時の仲間とは食事に出かけます。頑張っている仲間との時間が、良い刺激になっております。
(右が私です。彼女もとは今も食事に行く大切な仲間です)
かねてから夢だった自分のお店をオープン
「いつか必ず自分で事業を始めたい。」
まさか高校時代に懐いた思いが、17年後、このような形で成就するとは思ってもみませんでした。
「私にできるはずがない。」
「失敗したらどうしよう。」
そんな気持ちが何度も湧き出ましたが、やれない理由ではなく、「どうしてたらできるのか」を考えるようになっていました。
「私なら大丈夫だ。」数々の失敗、悩みと向き合えたことで、そう思えるようになったのです。
2018年4月11日【beauty therapy salon Reineオープン】しました。
まさか高校時代に懐いた思いが、17年後、このような形で成就するとは思ってもみませんでした。
「私にできるはずがない。」
「失敗したらどうしよう。」
そんな気持ちが何度も湧き出ましたが、やれない理由ではなく、「どうしてたらできるのか」を考えるようになっていました。
「私なら大丈夫だ。」数々の失敗、悩みと向き合えたことで、そう思えるようになったのです。
2018年4月11日【beauty therapy salon Reineオープン】しました。
私がエステを通じて提供できることは2つです。ひとつは綺麗を内から引き出すこと。
もうひとつは、自分が勝手に抱えている制約や思い込みから解放するお手伝いです。
「こうするべきだ。」
「どうせ私は○○だからできない。」
「こうでなければならない。」
「あの人はどう思っているのだろう。」
私は初めてパリでエステを受けた時、身体が解放され、自分の心の縛り、「とらわれ」に気づきました
自分で勝手に雁字搦めにして生きてきたのです。
もうひとつは、自分が勝手に抱えている制約や思い込みから解放するお手伝いです。
「こうするべきだ。」
「どうせ私は○○だからできない。」
「こうでなければならない。」
「あの人はどう思っているのだろう。」
私は初めてパリでエステを受けた時、身体が解放され、自分の心の縛り、「とらわれ」に気づきました
自分で勝手に雁字搦めにして生きてきたのです。
「健全な肉体に、健全な精神は宿る。」
ある哲学書で読みました。そこには、「健全な精神に、健全な肉体が宿るのではない」と書いてあり、私の中で腑に落ちたのです。
健全な肉体であってこそ、人は前向きになれるのです。
ダイエットは、明るい未来をイメージできれば半分は成功です。
イメージできれば習慣を変えることはそう難しいことではないのです。
「自分は美しくなれる。」 純粋に自分を信じられること。
そのためには、身体が楽であることが大切なのです。私のエステを通じて、皆様に「心の平穏」を感じて頂きたく思っております。
私の施術が力となり、前向きに過ごして頂くことができたら、本当に嬉しいです。
心からやすらぎ、自分を満たすことで周りの方たちにも幸せのエネルギーを伝染して頂きたいです。
「レーヌ」という言葉には、そういう想いが込められています。
身体も心も健康的に美しく輝けるよう、最高の施術を提供して参ります。
徳島No.1のプライベートサロンを目指し、これからも成長し続けて行きます。
お読み頂きありがとうございました。
健全な肉体であってこそ、人は前向きになれるのです。
ダイエットは、明るい未来をイメージできれば半分は成功です。
イメージできれば習慣を変えることはそう難しいことではないのです。
「自分は美しくなれる。」 純粋に自分を信じられること。
そのためには、身体が楽であることが大切なのです。私のエステを通じて、皆様に「心の平穏」を感じて頂きたく思っております。
私の施術が力となり、前向きに過ごして頂くことができたら、本当に嬉しいです。
心からやすらぎ、自分を満たすことで周りの方たちにも幸せのエネルギーを伝染して頂きたいです。
「レーヌ」という言葉には、そういう想いが込められています。
身体も心も健康的に美しく輝けるよう、最高の施術を提供して参ります。
徳島No.1のプライベートサロンを目指し、これからも成長し続けて行きます。
お読み頂きありがとうございました。
向井理恵